kagamihogeの日記

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教える時に気をつけてはマズそうな7つのこと

考え方の整理箱

トラバ先のエントリを読んでいて思い出したことがある。何時のことだったか、とある事情で某社の新人プログラマ研修に同席したのだけど、もうホントーにウンザリさせられた。そのときの経験をもとにこのエントリは構成されています。「教える時に気をつける7つのこと」の真逆方向に猪突猛進する、自称・ベテラン開発者の教育風景と、なぜそういう言動を取るのかの推測。やや不謹慎な書き方・内容になるけれど、まぁネタですんでテキトーに読み流してやってください。


教える内容に見直しなど不要なこと

たかが教育のために貴重なベテランプログラマたる教える側の時間を少しでも割くことなどありません。たまたま仕事の割り振りがなくて、教育などという些事に駆り出されたと割り切りましょう。教わる側が教える側の時間を奪っていることをきちんと指導してあげましょう。そもそも、教わる側は教育の機会を得られたことそのものが感謝すべきことであるのに、なぜ教える側には事前準備などという手間が要求される謂れがあるのでしょうか? 教える内容などは、経験豊富な教える側の頭の中にすべて収められているので、必要に応じて取り出せばよいのです。気負わず、肩の力を抜いてふんぞり返り、どちらが上でどちらが下かわからせてあげるのが大切です。

俺が話す内容から必要なことを汲み取ること

一方的に思いのつくまま話し続けましょう。それで理解できない教わる側が悪いのです。教える側がなぜ今のような経験と知識を得られたかと言えば、それは 10 年泥のように働き続けたからに他なりません。教わる側にもそれを強要しましょう。わかりやすく、体系付けられた順序や構成など、泥のような経験の前では無意味です。断片的な知識を専門用語を交えてひけらかし、技術はそこから盗むものだ、という認識を植えつけましょう。中には、説明がつまらない、わからない、などという輩もいるでしょうが、それは教わる側の努力・根性・忍耐が足りないという風にして叱責しましょう。

教えるとは支配すること

教わる側は経験がないのだから、どうせ何も学ぶことなどできません。いきなり知らないことから話し始め、それになんとか食らいつこうとする気概を見せる人種かどうかを見抜くことに腐心しましょう。そういう人種こそ部下として支配しやすいからです。理解しているかどうかは関係ありません。教わる側が従順な姿勢を見せるかどうかがポイントであり、教える側の言いなりになっているかどうかが肝要です。教わる側が全体像など知る必要などないのです。駒として動かすのに必要な最低限のことだけ言いっ放しにしておけばよいのです。

すべてを教えないこと

教える側がすることは、教わる側がいかに無知であるかを思い知らせることだけです。教える側に絶対的な権力と経験と知識があることをチラつかせ、教える側の言いなりになっていればすべて上手くいくという認識を植えつけましょう。教わる側に、自分の目で見て、自分の足で歩いていると感じることは錯覚であり、教える側の指導が素晴らしいから教わる側の成長があるということを常に刷り込み続けましょう。

的確に叱り飛ばすこと

教える=叱ることです。ほめたところで教わる側が付け上がるだけです。上下関係を認識させるために、常に居丈高な姿勢は崩さないようにしましょう。教育とは、どちらが上でどちらが下かをわからせる手段なのです。教わる側は見抜いています。褒めるなどしたら、教わる側は教える側に対する敬意を失い、やる気をたちどころに失うでしょう。

失敗に対し粘着し続けること

バカにすれば教わる側は簡単に「わかったふり」をし始めます。それを利用して「せっかく私が時間を割いて教えたのになぜ理解できないの?」「さっきあなたは『わかった』と言ったのに何もわかってないじゃないですか。そんなことでこの先やっていけると思ってるの?」など、教わる側はバカであると指摘し続けましょう。教わる側の自信と人格を木っ端微塵に粉砕し、教わる側というのは役立たずである、という認識を刷り込むのが重要です。この時、教える側がちゃんと教えたか教えてないかは些細な問題に過ぎません。

もし万が一上手くいったりした場合は「これだけ時間かけてようやくその程度か? お前もまだまだ俺には及ばないなぁ」などのように、教わる側の立場は教える側の下に常に位置することをわからせるための儀式として利用するのが効果的です。

いつまでも干渉し続けること

教わる側がいつまでも教える側を必要とするのが理想です。教わる側が自分を常に必要とし続けるように間接支配する状況を作り上げることが大切です。いつまでもいつまでも同じように教えを請わざるを得ない状況を作り上げ、それが自分の手下となります。教える側は、自分の言いなりに動く馬車馬を手に入れることができます。



……自分で書いといてなんだが凄まじく支離滅裂な文章になってしまった。誇張してる箇所もあるんだけど、俺が端から見てる分にはこういう思想の元に教育に当たってるとしか思えない人がいるのも事実なわけでして。教え方が破綻してるとしか思えない人のやり方を文章にしてみたら、やっぱり文章も破綻してしまうんですかね。

いやもう、部屋の空気は異様なモノでしたね。新人さんたちはみんなうつむいていて、目がどんよりしている人ばかり。たまに質問が上がれば「この前教えただろ?」「そんなこともわからないのか」と、イヤミか罵倒が入る。それがわかってるんで余計に静まり返る新人さんたち。そこへさらに「質問ないってことはお前ら全部理解したってことだよな?」とたたみかけるわけですが、ネチネチされるのがわかっているので誰も手を上げない。追い討ちで「ホントにわかってるんだろうな? どうせわかってないんだろ? しっかり自習しとけよ」これ。たまりませんわー。

いつかは教わる側は教える側を超えていきます。教わる側が新しい世界に向かって自分の頭で考え、自分の足で歩き始めることを素直に喜びましょう。背中を乗り越えていく頼もしい姿を笑いながら見送りましょう。教えると言うことはそういうことだと思います。そして、いつしかまた教わる側は教える側になり、同く教えることを繰り返していきます。
考え方の整理箱 より抜粋(強調部分は俺によるもの)

やっぱコレが怖いんですかねぇ……恐怖によって統括しようとするのは、自分の立場を下げたくない一心から来てるのかなぁ? と、あの時新入りをイビりまくる自称ベテランのオッサンの姿が俺にそんな感想を抱かせるのでした。




参考文献:

老害の人老益の人―老人と、これから老人になる人々へ

老害の人老益の人―老人と、これから老人になる人々へ