kagamihogeの日記

kagamihogeの日記です。

教育で何かを教えることは出来ないのかも

先日、美容院でかなり頭を唸らせられる事態に陥った。美容院のアシスタントさんにマユゲ処理してもらってたとき、話の流れである質問をされたが、返答に相当な困難を要した。その質問とは、

「インターネットってどうして見れるんですか?」

こちらがプログラマというコンピュータにはフツーの人よりかは詳しいだろう、というのを見越しての質問である。ひとえにプログラマといっても専門分野があってですね、詳しい分野と詳しくない分野があるんですよぅ、などという言い訳は利かない。コンピュータに普段から触ってる人種なら、コンピュータにかかわってるっぽいことならなんでも分かるだろう、ぐらいの感覚で尋ねてくるのだ。いやまぁ、わからんものはわからんって言えばいいのだけど、なんか負けた気分になるという妙なプライド様がお邪魔なさるのですよね。

それはさておくとして「インターネットのヤフーが勝手にエロサイトになっちゃってー」とか言ってくれちゃったりする 20 歳そこそこかそんなもん相手の女性相手にどう応えたものか。そりゃもう脳みそフル回転ですよ。母親に「OS って何?」と聞かれた時以来の衝撃かもしれない。しかもマユゲカットしてもらってるという超短時間の内に俺の考えをまとめた上で説明もしないといけない。 IP アドレスがうんぬんとか専門用語は使えそうもない、俺がアイピーと発音した時点でタブンおねーちゃんの脳は考えるのを止めるだろう。待てよ、アドレス? そうか住所をキーワードにすれば……ッ

このとき俺の脳内では、配達・郵便を例にして TCP/IP のネットワークについてやさしく解説していた 自分のペースでゆったり学ぶTCP/IP (絵でラクシリーズ) という書籍の内容を必死で引っ張り出していた。

「……インターネットがなぜ見れるかというとですね。世界中のコンピュータに住所があるんですよ」
「住所ですか? 東京都、とかの……」
「そう。東京都・港区・ヤフーみたいに。ひとつひとつベツの住所がついてるんですよ」
「へーじゃあ、ぱそこんに住所部品みたいなのが付いてるんですね?」
「(惜しい! 惜しいけどだいたいあってるからスルー!)そうそう。で、ヤフーの住所に『ニュースの情報下さい』ってハガキを出すと、ニュースの情報が入った封筒が送り返されてくる、ってワケです」

てなやり取りをして、かがみさん説明チョー上手いっすね! センセイになれますよ! とかよくわかんないベタ褒めをされて、それはそれで返答に困ったというか、脳の回転数上げすぎて疲れて上手い返しが見つからなかった。

このやり取りでまず感じたのは、専門用語使って同業の人間に説明するのって実はラクなことなんだなー、ということ。用語ってのは、それ単体で様々な意味を圧縮しているので、送り手としては労力が少なくて済むわけで。もちろん、知ってる人同士では圧縮した言語でコミュニケーション取るほうが合理的だという理由もあるのだけど。

それで次に、教師など教えることが目的の仕事ってホント大変だよなぁ、と痛感した。何かを教えるってのは、例のおねーちゃんが良い例なんだけど、相手の現在の知識水準を踏まえて用語や言い回しをチョイスしつつ、相手の反応を見て理解度を推し量りながらリアルタイムに応答を返す必要がある。「あいぴー、って、なんだろ?」っていう状態になったら相手の思考はそこで足踏みしてしまう。それは「何言ってるのかワカンネ」の理解放棄に繋がりかねない。そうならないように、相手の「納得」をあの手この手で引き出し続けないといけないのだけど、それは俺にはものすごい綱渡りなバランス感覚が要求されるように思えてならない。

さらにさらに考えると、人は適切なきっかけが与えられれば、新しいことを学びはじめる障壁をかなり下げられるのではないか、という疑問も沸いた。例のねーちゃんがこれからネットについて勉強し始めるかどうかはわからないけど「コンピュータには一意の住所が割り振られていて、インターネットはそれによって接続されている」っていうさしあたっての知識があれば、そこを基点に自力で掘り下げていくことは充分可能ではなかろうか。受け手の能力や経験に応じた情報を多すぎず少なすぎの分量できっかけをインプットしてやるのが、こと初期導入教育では重要な要素なのでは……ただ、インターネットと住所みたいな具体的な例え話は最初の入りとしては有効でも、ゆくゆくは抽象的で本質的な理解を得るには邪魔になるやも……うーん……

……ここまで来て、俺はどうも、教育は本当の意味で何かを教えることはできないのではないか、という考えを持っているらしいことに気付いた。何がしかの知識を相手に伝えることは出来る。が、そこから先の、その知識をどんな風に消化するか? きっかけを基に相手が何をどう理解するか? はどうしても予測不能な余地がある。というか、何がしかのインプットを基に自ら学ぶということをしないと、何かを自分の頭で理解することは難しい、というのは自分の経験を省みても何となく正しいように思える。

ここまで書いてきて、教えることは何も教えられないが、教えることでしか何かを教えることは出来ない、なんていう怪しい宗教の売り文句みたいなのを思いついてそのまんま blog に書いてしまう。いや、なんつーか、こういうジレンマみたいなのって、何かを教えようと行動するときに絶対発生すると思うのよね。

教育を専門に扱ってる人たちというのは、このジレンマを解消する術を知っているのか、はたまたそんなもんは俺の妄想で存在しないのか……どちらにせよ、教えることを専門に扱ってる人たちってのはスゴいなぁ、と感嘆のため息をつくのでした。

ITの専門知識を素人に教える技 (エンジニア道場)

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