kagamihogeの日記

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東大生の論理― 「理性」をめぐる教室

本書は、著者が東大に非常勤講師として一年次の学生に向けて一年間記号論理学の講義を行った結果を基に、東大生とはいかなる性質を持った人間たちなのだろうか、について考察を行った一冊である。その性格上、長期間研究を行ったわけではないので、いささかその妥当性には疑問符がある。しかし、そんなことはどうでもいいくらいの価値がある。その価値とは、学問とはたのしいものだ、と読者に思い込ませるのがもんのすごく上手いのである。本書を読んで、東大いきてぇ! となってホントーに東大いっちゃう学生が結構な人数出ちゃってもおかしくないレベルです。

本書の構成は、著者が学生とセッションしながら講義をすすめていった内容を時系列で追いつつ、東大生の論理とは何なのかという問いに対する筆者なりの見解を述べていく、というスタイルになっている。学生とディスカッションしながらの講義、といえば マイケル・サンデル氏の これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 - kagamihogeのblog が昨年話題になった。このリンクを踏んでもらえればお分かりになると思うが、俺はあの本読んでマッタクもってサッパリ、ナンもわからなかった。はっきりいって、なんでみんなあんな意味不明な上に長ったらしくてクソ重いハードカバーの本を有り難がってるのがわからなかった。今なら多少はその有り難味が理解できるのだが、それは本書のおかげといっても過言ではない。本書はベンサム功利主義に触れたりもする(どんな文脈で出てくるのかは読んでのおたのしみ)ので、理性を定義するってのはどういうことなのか、それにはどんな意味があるのか、そしてなぜそんなことに挑戦する必要性があるのか……やっと理解の糸口が掴めた感じである。

本書のエッセンスの一つは、学問をたのしむためのコツの一つは、講師と学生のセッションにある、と述べている点だろう。俺も情報科学屋の端くれなので、大学では記号論理学は一応修めている。が、よくわっかんねぇ記号だらけでチンプンカンプンだったのを今でも覚えている。この点については、記号論理学のプロフェッショナルである著者も認めている。記号論理学のエッセンスを端的に教えるのは、一方通行に講師から学生へと伝達するルーティンワークスタイルが一番ラクなのだそうだ。しかし、それでは、記号論理学ツマンネ→理解できねぇ、に学生が容易く陥ることもまた、著者は認めている。その問題解決策として、セッションスタイルが優れた解、ということなのである。

本書はラストで、東大生の論理について 10 の箇条書きを書いて終えられている。これをぜんぶ転載するのは味気ないので俺なりにまとめると、東大生は学問をたのしむスキルが究めて高い、と言えるのではなかろうか。本書は端々に聴衆たる東大生のナマの声を掲載し、その一つ一つを褒め称えているのだが、生き生きと講義に望んでいる様子が浮かぶようである。もちろんそんなマジメな学生ばかりではないことも、ほとんどの大学で調査すれば学問をたのしんでる層は必ず幾ばくか存在することも、それは事実だろう。がしかし、これだけたのしく学問やれる人間がタクサンいる可能性が一番高いのは東大なんじゃなかろうか。

自分の知らないことを知る、これは、自分の中で世の中を見るフィルターを増やす、という意味合いがある。社会生活を送る上では、意外と視点の広さがモノを言う場面があったりする。記号論理学もその一つであり、世の中を論理的に完全な状態に落としこめる能力、というのは実はものすごく幅広い用途に使えるのである。その性質は別段記号論理学に限らず、学問全般に言えることではあるのだろうけど。

学問ってのは本質的にたのしいもんだということを再確認させてくれる、素晴らしい一冊でした。

東大生の論理― 「理性」をめぐる教室

東大生の論理― 「理性」をめぐる教室