結論
って 新卒一年で会社辞めた俺が何を言えるねん・・・
「自分のだせる最高のパフォーマンスで仕事に取り組む、その結果としてより高レベルかつ自分の関心が強い仕事にめぐり合える」、いつからかそんな正のスパイラルが働くようになり、冒頭に紹介したようなポリシーが正しいとの確信を次第にえるようになった。
ネタ元のこの一文はすごく共感出来る・・・んだけど、どうにも違和感があるのは、新卒一年で辞めるという暴挙のせいだろう。
最初は目の前のことに頑張ってみる
それでもなんで共感できるかというと、自分の学生時代がそんな感じだったから。
最初に学んだ言語は Pascal で、これはすごい苦労した。キーボードすらまともに打てない状況からのスタートだったし、必修だったからそれはもう必死だった。
けれど、C、Java と学んでいくのは(Pascal 覚えたのに比べれば)すごく楽だった。そのあと Tomcat 知ってこりゃ面白そうだーってことで卒論いっこ書いて卒業*1。前後して web アプリ全盛時代に入ったこともあり、就活はホントラクなものだった。
1 年で辞めちゃうんだけど。
Pascal を起点として Java + Web アプリまで。この流れの中で、学習サイクルもどんどん良くなったし、自分が関心を寄せることで卒論も出せた。
今、過去を振り返ることで思うのは、一番最初に目の前に現れたキツイ時期を放り出さずに頑張っておいてよかったなぁ・・・と。
偶然から始まるキャリア
キャリアは偶然によって作られるものだと私も思う。
俺もこれには同意。特に一番最初は偶然の産物になるものだと思う。
俺にとっては Pascal が礎になったわけだけど、たまたま講義で学んだのがこれだっただけの話。現在から過去を見渡すことでやっとこさ「点」が見えたに過ぎない。
未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。
この話の一番重要な点は、自分の中に「繋ぐことのできるドットがちゃんとあるか」という話ではないだろうか?
俺の言語知識は、Pascal、C、Java という線を繋ぐことができた。この線に沿って他のいろんなソフトウェア工学の知識がくっついている状態です。最初に俺の目の前に現れた Pascal を頑張ってみることでキャリア(と言っていいかわからんけど)を作ってこれた、と言えると思います。
さいの目は自分次第?
でも「偶然のレベル」と「自分のレベル」は等価なので、偶然を活かす良いスパイラルを生み出すためには、まず自分のレベルを上げないと始まらない。
ちと文脈は異なるのだけど、俺のお世話になった先生はこんなことを言っていました。
(大学一年生に対して)新しい生活になり、友人が欲しいと思う人は多いでしょう。そんな人は、まず「何か」を学びなさい。その「何か」では、この大学で一番だと言えるぐらいに。そうなれば、自然と君の周りに人は集まるものです。
先生、俺はがんばりが足りなかったみたいだよ・・・。
*1:今思うと小学校時代の学芸会ビデオ並に恥ずかしい代物だけど・・・