kagamihogeの日記

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陸軍登戸研究所の真実

明治大学の生田校舎がある近辺の丘陵には謎の横穴がぽつぽつと散在している。金網で閉鎖されているので中に入ることは出来ないが、恐らくは防空壕だったのだろう。その後、明治大学生田校舎の前身は旧日本軍の登戸研究所なるものが存在していることを知り、謎の横穴についても何と無しに得心がいったものだった。また、その研究所では風船爆弾なる怪しげな兵器開発をしていたことをおもしろおかしく聞かされ、あの辺りは歴史のある場所なのだな、と感想を覚えていた。そこで本書が目に入ったのでタイトル買いしたのだが、思いも寄らない内容であった。

本書では登戸研究所の元所員である伴繁雄氏の証言をベースに登戸研究所のことが書かれている。書き口は非常に淡々として事実を率直に語ろうとする真摯な姿勢が伝わってきて、氏の技術者としての実直さが伺える。

登戸研究所に対して、俺も本書を読むまでは世間一般の認識と同じく、風船爆弾やらの風変わりなことをやっていた、ぐらいの認識だった。しかしながら、登戸研究所は日本の秘密戦―諜報、防諜、謀略、宣伝戦―に必要な技術開発および研究を行う、当時の日本ではトップクラスの人間の集まる技術開発研究所だったという。諜報やら防諜やらというと何やら胡散臭さが漂うものの、近代戦において情報戦は雌雄を決する存在である。そして、そこで行われていたことは、フツウに基礎研究と応用研究のようだった。

「? 登戸研究所内各科の研究内容と成果」では、各技術の研究過程が、手記のような形で語られている。無論、戦争目的なため非人道的な要素は存在している。毒薬の効果測定のため人体実験があったことは率直に認めているし、牛疫感染作戦のために多くの牛を実験的に毒殺していた部分の生々しさは真に迫るものがある。とはいえ、幾人かの他研究員の手記の形式で各技術の研究記録が書かれているのだが、これはフツウに科学者の日記である。莫大な失敗例の積み重ねをしながら少しずつ理論の確立に近づき、ひいては実戦運用に耐え得るものを作り上げよう、という執念の在り方は、イチ技術者としてはかなりの共感を覚えた。

ちなみに風船爆弾についての記述もあるのだが、かなりサックリしたものになっている。「戦果は小さかったが、心理作戦としては成功」というのが本文からの一部抜粋である。

「鄴 秘密戦の実相」では、筆者の満州や東南アジアを巡った際の体験談をもとに、どのような職務を行ってきたのかが書かれている。対ソ戦では、情報戦体制の立ち上がりの遅さでかなりの苦渋を味わった様子が書かれている。しかし、東南アジアにおける工作では、中野学校出身者を実務に据えて、登戸研究所開発の各種機材をしながらかなりの効果を上げるに至ったことが、これまた淡々と書かれている。

戦後にまともに資料すら残らない秘密の研究をしていた、というといかにも旧日本軍が悪辣非道な研究をしていたかの印象が受けるが、本書を読めばそんなことはないことが理解できる。結局のところそこで働いていたのはフツウの日本人であり、戦争だったからそれに役立つ研究開発をしていただけのことなのだろう。実際、著者の伴繁雄氏は「(戦後は)水道用凝集剤製造会社に技術者として勤め、技術開発の責任者として仕事は多忙でした」とある。

戦争のことを知る、となるとどうしても、人が生き死にする派手な部分に目が行きがちである。しかし、戦争の当事者が自分の半生を率直に正直に語った、本書のような手記もまた読む価値のある一冊ではないだろうか。

陸軍登戸研究所の真実

陸軍登戸研究所の真実