kagamihogeの日記

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そして二人だけになった―Until Death Do Us Part

おおよそ俺の小説の楽しみ方というのは、小説の内容に対して理解とか共感とかをするところにある。ストーリーがよく練られていて唸らされたとか、登場キャラクターたちの個性が充分に描かれていて読んでいて楽しかっただとか、そういう感じ。そこで本書なのだが、正直な所理解できましたかと言われるとかなり怪しい。しかし、面白かったかと問われると確実に面白かったと答えられる。理解できないにも関わらず面白い小説、というのはこれが初めてだった。

ある程度の前評判―読んだらきっとビックリするよ―は聞き知っていたし、一人称視点が交互に現れたり、よくわからない物理学の講釈が合間に挟まるあたりを見るに、凝った仕掛けがあるんだろなーとは予測が付いた。だからといってオチまでは推測できるわけもなく、あの結末には驚かされた。驚いたというか、何度か読み直してみて、ああそういうこと……いや、そういうことでもないのか? と理解が一向に進むような進まないようなモヤモヤ感がずっと残ったままだった。かといって、描写足りねーよコレといった類の不完全燃焼のような中途半端さを覚えてるわけでもない。決して理解できたり共感できたりしてるわけでもないのに、面白い、というのは俺には初めてのことで戸惑っているのだろうか。

ところで。俺が blog をソレナリに書けるようになった本の一つに 理科系の作文技術 (中公新書 (624)) がある。この本に書かれている議論で重要なものの一つに、事実と意見の書き分け、というものがある。自分が書いた文書を基に、他人が何らかの判断を下すケースの場合、その文書は事実と意見が分離されていなければならない。でなければ、自分の意見という憶測や推測を基にした決定が下されてしまうためである。

という前置きを置いて。本書を読み終わって思うのは、小説に置いて誰かが何かの発言をしたとき、それが事実か意見か判定するのは非常に難しいよなぁ、というものだった。まぁソレただの叙述トリックでしょ、小説と報告書は文書といってもほとんど別モンなんだからそういうもんでしょ、と言われればそういうものなのだけど。なんというか俺が読後に覚えた違和感らしきものを言葉にするなら、そういうところにあるような気がしてならない。

俺が事実だと考えているものが、実は他人からすると意見に過ぎないことは結構あるのではないか……あーなんか上手く書き表せないのだけど。この小説は事実と意見の境界は、ひょっとするとすごくあやふやなものなんじゃなかろうか、と錯覚させられたのかもわからん。んー、なんてーか、ホント良く理解できないし、何が面白いのかイマイチ説明できないのにも関わらず面白い小説でした。

そして二人だけになった―Until Death Do Us Part (新潮文庫)

そして二人だけになった―Until Death Do Us Part (新潮文庫)